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冒頭の機関車がD51でなく、D60というのがいいですね。2:54からの機関助士の作業シーンが興味深いです。映画では、あまりえがかれません。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。この映画の公開後、10年くらいしてから、いわゆる「SLブーム」になるのですが、D51がSLブームの代名詞になるのはそれからで、この時代はむしろ、亜幹線で活躍していたD60やC59に人気があったようです。この映画作品は必ずしも鉄道を主体としたものではなく、青春モノなのですが、鉄道を題材にするだけで、じゅうぶんにストーリーに耐えられた,そんな時代でした。。
自分が機関助士を努める優等列車に最愛の彼女が走ってきて満面の笑みで手を振るなんて素晴らしいこれ以上無いほどの「男冥利に尽きる」という場面ですねこんなシチュエーションに憧れた男は多かったと思います(私もその一人です)
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。もともとこの映画作品は鉄道モノではなく、若い男女の青春の恋物語なのですが、鉄道員の青年と紡績工の女の子が将来を誓い、ラストシーンではお互い水着になって夜のプールで泳ぎます。映画公開当時は、若い息吹の美貌を映画館に吹き込むことで、おなじような境遇の若い観客を何度も呼ぶことができた良い時代でした。汽車の時間をお互いが契って、走り追うシーンは、この映画のクライマックスの一つでした。
D6058にC59182、どこの[クラ]にいたカマかちょっと気になります。ただ、D6058の貨物列車と、C59182の旅客列車は違う路線ですね。D60が必要な路線だとまずC59は入れません(重量オーバー)。カマもそうですが従う貨車・客車も時代ですね。貨車はまだ2段リンク化されていないのでMax65km/h時代(75㎞/hが可能になったのはヨンサントオこと1968/昭和43年10月改正から!)、冷蔵車も木製車体の銀レ、またC59182にエスコートされる客車も戦災復旧車だのオロ31だの…(ハザがスハ43辺りでロザがオロ31だと客から苦情が来そう。なんで倍の運賃払ってるのにこんな古臭いのに乗せられるんだ!…って)(^^);
追記。検索してみたところD6058は最初紀伊田辺区で紀勢本線(但し全通前なので紀勢西線?)で貨物列車を牽いていて、この映画の撮影時には郡山区に人事異動、磐越東線でロケをした由。後年九州に異動し久大本線、筑豊本線などで働き[定年]迎えていました(^^);(道理で見覚えがあるカマ=久大本線でのシーンが書籍に掲載=でした)。C59182は最初姫路第二機関区で山陽本線などで活躍しこの映画の撮影時には福島第一機関区に異動、東北本線で働き、そこで[リストラ]されてしまいました。元は大正生まれのD50を改造したD60が昭和40年代まで約半世紀活躍出来たのに、戦後生まれのC59182が14年で引退に追い込まれたのは、C59が幹線用大型旅客用でローカル線にはそのままでは入れなかったこと、また幹線なるが故に電化等近代化が優先され働き場所が無くなった為(C60に改造され延命したカマもいましたが…それでも東北本線や鹿児島本線・長崎本線など幹線系でないと使い辛く、長生きは叶いませんでした)です。C57とはまた違った均整の取れた如何にも急客機然としたC59は個人的には大好きなカマだけに、多くが天寿を全う出来ず早くに引退したのは勿体ない限りです(^^);
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。この映画作品は機関区や駅も町もすべて架空の名前で制作されていますが、機関車の区名札は「峰」としてあるものの、ロケ当時の配置は仙鉄局郡山です。鉄道図書刊行会刊国鉄車輛配置表昭和33年(誌中記事)~39年(単行本)でプレート番号を調べると、前後年配置が変わることなく掲載されています。撮影時には区名札第2枠に「福一」も並べ差しています。D6058号機は海南駅で入れ換え中に側線の30kgレールを圧壊した記録があり、その後自区には戻さず、天鉄局龍華機関区に回送留置したまま転属の系譜になっています。この手の情報は、インターネットだけに頼っていてはムリです。これらの年代の本は、今でも古本屋さんで比較的容易に入手できるほか(2万~5万円くらい)、鉄道博物館の閉架書庫にも所蔵されていますので、お調べいただくことができます。磐越線は会津若松との間でコレ(混合列車)臨が存在していた時代で、60も59も、波動では客貨どちらの牽引にも用いられていました(キネマ旬報/季刊蒸気機関車)。どうぞご研究ください。
4:59-5:11人跟火車的互動
再次感谢您的观看。
#江戸川権八
毎度ご視聴いただきましてありがとうございます。
冒頭の機関車がD51でなく、D60というのがいいですね。2:54からの機関助士の作業シーンが興味深いです。映画では、あまりえがかれません。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
この映画の公開後、10年くらいしてから、
いわゆる「SLブーム」になるのですが、
D51がSLブームの代名詞になるのはそれからで、この時代はむしろ、
亜幹線で活躍していたD60やC59に人気があったようです。
この映画作品は必ずしも鉄道を主体としたものではなく、
青春モノなのですが、鉄道を題材にするだけで、
じゅうぶんにストーリーに耐えられた,
そんな時代でした。。
自分が機関助士を努める優等列車に
最愛の彼女が走ってきて満面の笑みで手を振る
なんて素晴らしい
これ以上無いほどの「男冥利に尽きる」という場面ですね
こんなシチュエーションに憧れた男は多かったと思います(私もその一人です)
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
もともとこの映画作品は鉄道モノではなく、若い男女の青春の恋物語なのですが、
鉄道員の青年と紡績工の女の子が将来を誓い、ラストシーンでは
お互い水着になって夜のプールで泳ぎます。
映画公開当時は、若い息吹の美貌を映画館に吹き込むことで、
おなじような境遇の若い観客を何度も呼ぶことができた良い時代でした。
汽車の時間をお互いが契って、走り追うシーンは、この映画のクライマックスの一つでした。
D6058にC59182、どこの[クラ]にいたカマかちょっと気になります。ただ、D6058の貨物列車と、C59182の旅客列車は違う路線ですね。D60が必要な路線だとまずC59は入れません(重量オーバー)。カマもそうですが従う貨車・客車も時代ですね。貨車はまだ2段リンク化されていないのでMax65km/h時代(75㎞/hが可能になったのはヨンサントオこと1968/昭和43年10月改正から!)、冷蔵車も木製車体の銀レ、またC59182にエスコートされる客車も戦災復旧車だのオロ31だの…(ハザがスハ43辺りでロザがオロ31だと客から苦情が来そう。なんで倍の運賃払ってるのにこんな古臭いのに乗せられるんだ!…って)(^^);
追記。検索してみたところD6058は最初紀伊田辺区で紀勢本線(但し全通前なので紀勢西線?)で貨物列車を牽いていて、この映画の撮影時には郡山区に人事異動、磐越東線でロケをした由。後年九州に異動し久大本線、筑豊本線などで働き[定年]迎えていました(^^);(道理で見覚えがあるカマ=久大本線でのシーンが書籍に掲載=でした)。
C59182は最初姫路第二機関区で山陽本線などで活躍しこの映画の撮影時には福島第一機関区に異動、東北本線で働き、そこで[リストラ]されてしまいました。
元は大正生まれのD50を改造したD60が昭和40年代まで約半世紀活躍出来たのに、戦後生まれのC59182が14年で引退に追い込まれたのは、C59が幹線用大型旅客用でローカル線にはそのままでは入れなかったこと、また幹線なるが故に電化等近代化が優先され働き場所が無くなった為(C60に改造され延命したカマもいましたが…それでも東北本線や鹿児島本線・長崎本線など幹線系でないと使い辛く、長生きは叶いませんでした)です。
C57とはまた違った均整の取れた如何にも急客機然としたC59は個人的には大好きなカマだけに、多くが天寿を全う出来ず早くに引退したのは勿体ない限りです(^^);
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
この映画作品は機関区や駅も町もすべて架空の名前で制作されていますが、
機関車の区名札は「峰」としてあるものの、ロケ当時の配置は仙鉄局郡山です。
鉄道図書刊行会刊国鉄車輛配置表昭和33年(誌中記事)~39年(単行本)で
プレート番号を調べると、前後年配置が変わることなく掲載されています。
撮影時には区名札第2枠に「福一」も並べ差しています。
D6058号機は海南駅で入れ換え中に側線の30kgレールを圧壊した記録があり、
その後自区には戻さず、天鉄局龍華機関区に回送留置したまま転属の系譜になっています。
この手の情報は、インターネットだけに頼っていてはムリです。
これらの年代の本は、今でも古本屋さんで比較的容易に入手できるほか(2万~5万円くらい)、
鉄道博物館の閉架書庫にも所蔵されていますので、お調べいただくことができます。
磐越線は会津若松との間でコレ(混合列車)臨が存在していた時代で、
60も59も、波動では客貨どちらの牽引にも用いられていました(キネマ旬報/季刊蒸気機関車)。
どうぞご研究ください。
4:59-5:11人跟火車的互動
再次感谢您的观看。
#江戸川権八
毎度ご視聴いただきましてありがとうございます。